差別と反差別、それから多分、映画

人が人から差別を被り、それを正そうとする姿勢や行動を反差別とすると、それぞれのあり方は個人によって、大きくは社会・文化的背景によって異なるだろう。当の私は差別に対しては長年否定的な立場であるが、その一方で反差別の多くには底知れない胡散臭さも感じてきた。そしてその傾向は近年強くなるばかりである。

この文の方向性を明示するために、今の私の差別というものに対するスタンスを明確にしよう。それは;

差別はどこにでもあるもの。いちいち目くじらを立てない(無視)。

こう言い切ってしまうと誤解も生じるだろうが、例え貴方が誤解しきって受け止めたとしたも大した間違いにはならないかも知れない。少なくともこれまで、私が直接的に心身の危険を感じた被差別はほとんどなく、生まれ育った場所と時間が影響しているとも言えるが、とは言え我々が知ることの出来る被差別のほとんどはもっぱら切り取られ誇張された表現からでしかない。その一方で、これまではなかったその心身の危険が近い将来起こりうると何故か感じるのは、むしろ反差別の活況によるところがある。差別が悪いのであって反差別は悪くないと真摯に思っている人は驚くかも知れないが、これは事実だ。その昔西から輸入した反差別の目的は、立場の異なるものを攻撃してその権利を奪い取るためのものに過ぎない。故に実態もその攻撃性も差別とほとんど変わらないばかりか、近年は反差別の攻撃性の方が強い。

私が初めて反差別に接したのは同性愛、19歳くらいの時だったと記憶している。アメリカ・ロサンゼルスでのことだ。私自身はいわゆるストレート、性別は男で女が大好きといういやまあそれは置いておいて、同じホテルに色白の日本人男性が滞在していた。年齢は多分20代前半だったのではないか。旅行ガイドブック「地球の歩き方」で見つけた日本人ばかりが宿泊している中長期型滞在ホテルだった。顔見しりになり、お互い知り合いもいなかったので、ちょくちょく話すようになったのだが。ある日私は彼を部屋に招いた。好物だったソースをつけて食べるメキシコのチップスを片手に、アメリカの話でもしようかと思っていたのだと思うが、話は完全に「同性愛差別」に傾いた。

彼のレトリックは、まず「誰しも差別をしている」というつかみから入り、「自分は差別なんかしていない」と思い込んでいる相手の意表を突き、自らの興味の対象である同性愛差別に話を移し、同性愛者を差別しているに違いない私を敵視し、西的な差別と反差別の構図に話を持って行くものだった。なぜか被差別を我が事のように話す彼は、話が進むうちに自分が「おれ、実はゲイなんだよ」と言った。私は大した衝撃を受けず、「(あ、そう)」くらいに受け止めたので、それを彼は気に入らなかったらしく、自分がゲイでどれだけの差別に晒されているのかを主張した。だが、実際にどのような差別を受けたのかの具体的な説明はなかった。であるのに彼が奮起したのは、自分が同じとみなす同性愛者というグループが、”差別を受けている”というストーリーを語るいくつかの表現に接したからだろうと思う。

「人間誰しも差別している」という彼のつかみの主張に対し、そこから私は理解を示さなかった。なので話は平行線を辿り、彼はもどかしがった。彼の興味は「差別がいかに悪いことなのか、それを正すためにはどうすれば良いか」という方向に話を持っていくことだったのだが、最初の前提に私が同意しなかったので、彼にとっては難敵だっただろう。念のため断っておくが、「人間誰しも差別をしている」という彼の表現は、少なくとも彼の理解の範疇においては正しくないと今でも思う。そもそも差別の定義が千差万別であり、彼の差別の定義と私の差別の定義は違うから、ここからすでに話が難しくなる。基、自分との違いを理由に人を否定することが程度の差はあれ差別と呼べるのなら、世の中差別だらけである。その差別を根本的に否定すると、思想はやがて命の選別に繋がっていく。文字通り全ての命は平等で尊いとするから、挙句には外を歩いていてたまたま踏んでしまうダニの命でさえ守らなければならない。であるなら外を出歩かなければいいのだという極論に辿りつくのだが。そして世界では今も今朝食べた食パンを作る小麦を育てるために農薬が使われ虫の大量殺戮が行われている。ここまで来ても矛盾に気がつかない人はいる。こういった思考の流れを止めるには、どこかで線引きするしかない。ダニは殺して良い、私たちの食物を食い荒らす虫や獣も殺して良い。だが、私たちに何の迷惑もかけていないものは殺してはだめだ、というのが例えばイルカ漁反対などになる。じゃあ牛はどうなんだというパターン化したやり取りは通じない。それは相手が西的な反差別であるからである。あちらさんはこちらのことなどどうでも良いのだ。

その色白の日本人男性は、話がなかなか進まなかったので、いわゆるカミングアウトをし、「これで分かったか」と言わんばかりに私の反応をうかがったが、それでも通じなかったので、仕方なしに話をすっ飛ばし、同性愛に対する差別をなくすにはどうすれば良いのかという話をし始めた。この時の彼の主張は今でも鮮明に覚えている。ここで初めて、私は自らの権利が侵害されていると感じることになる。彼の結論を端的に述べると、世の中の同性愛差別をなくすには、人口の割合を異性愛者と同性愛者で半々にすれば良いというものだった。よれば、この世の大半が異性愛者なのはそういった教育によるもので、教育が間違っており、それを正せば両方の割合は半々になるというものである。教育という話を持ち出した時に話は途方もなくさらに広がったなあ、と私は思った。教育というのは学校だけでなく、親もあるし、社会もあるし、その個人が育つ様々な環境によってなされるものである。人間が”正しい教育”を受ければ異性愛と同性愛の割合は半々になるという彼の主張に対し、教育のないらしい野生動物のその割合も半々なのだろうかという問いは意味をなさない。

男性は、お前も差別している、というその主張に対し、私が一向に理解を示さなかったので、話を広げ、日本の在日朝鮮人差別に話を広げ、ついには「差別されたことがない奴にはわからない」と言い出した。差別されたかされなかったかというのも個人の受け止め方が違う訳で、では私が差別されたことがなかったのかといえば、彼の考え方に従うとすると、差別されたことはあるだろう。単に私が気にしなかっただけである。そこで私は彼を言い伏せるようで気が進まなかったが、私の父親が在日韓国人であることを話した。それを聞くと彼はわかりやすい大きな挙動で反応した。「え!?」。ここで少し私のことを話そう。

私の母親は北陸生まれの日本人で、私の父親は在日韓国人である。私はそのことを16歳になるまで知らなかった。それを知ったのは、生まれて初めて海外旅行に行く時に、パスポート申請のため市役所に戸籍謄本をもらいにいった時のことだ。生父の名前を知ったのもその時だが、韓国籍であることが書いてあった。姓が韓国っぽく、名は日本だったので、在日二世か三世とかいうやつではないかと思う。その時に私は何を思ったかというと、正直に話そう。「マジか、俺ハーフやんけ!」、と喜んだのである(ハーフ=かっこいいというアホな考え、別にええやろ)。聞くところによれば、両親は結婚しておらず(結婚していたら私の国籍は自動的に韓国になったらしい)、その後私が何歳になるかまでに国籍の選択をしなければならなかったようで、結局私は日本人になった。とはいえ、私自身は生まれてこの方自分を日本人として認識している。

今思えば、私を取り囲む大人たちの多くは、小さい頃から私の父親が韓国人であることを知っていたと思う。そう思える節がいくつかある。母親のどういった意向によるものかは知らないが、少なくとも学校の担任は知っていたはずだ。そこで、その色白の日本人男性がもし私なら、差別認定していたであろういくつかの出来事について書いてみよう。

最初の出来事は小学6年の時、母親の連れられて故郷の大阪から北陸に引っ越したあとのことだ。当時の担任が授業中、朝鮮人をバカにする言葉を面白そうに述べていたのをなぜか覚えている(面白そうに「バカチョン」と言っていた)。何故か私に向けて言葉を発していたことがわかったので、それが不思議だったのだろうと思う。その担任は精神的に極めて幼稚で、授業をほとんどやらなかった。いつも何か難癖をつけてクラスを中断し、全員立たせて、「このクラスは終わっている」「俺は今日でこのクラスを見捨てる」などといって、小学6年の間はそう言った下手な学校青春ドラマの練習をさせられていた記憶しかない。彼は一年あった内の最初の1学期目か2学期目に、私に対して集中的に暴力をふるった。最も鮮明に覚えているのは音楽室に一人残され、殴る蹴るの暴行を受けて鼻血を出したことだ。とにもかくにも殴れた理由がわからないので、当時は困ったものだ。同様にいつも意味不明なことで怒られたり、目の敵にされて説教されることが多かった。こういったあの男の行為も最終学期になるとなぜか豹変し、今度は私に対して優しく接するようになったが、多分あれば先輩の教員に諭されたからではないか。同じ学年の隣のクラスの女性職員をママのように慕っていた。子供にもそれはわかった。

私の父親が韓国人であることを知った16歳の時、私は包み隠さずそのことを近しい友人たちに話した(ハーフであることを自慢したかった←シンプル)。当時の友人たちの反応は「(あ、そう。で?)」であったが、時間がたつに連れて少数の知り合いの私に対する態度が変わったことは確かである。それが私の生父の国籍が故であるかどうか確認しているのは全てではないが、確認しているものもある。それはつい最近のことだ。私も同級生たちも40歳に差し掛かった昨今である。高校時代に仲良くしていた二人の旧友が、私を意図的に無視していたというもの。二人は私を差し置いて何度か飲み会をしていたらしい。一人は関東で一人は石川にいるくらいなので、会って飲むというのはよほどのつながりである。Facebookを通じて二人に再会したのは、内一人(優しい方)が私への態度を反省して連絡してきたからだったと思う。で久方ぶりにFacebookを通じて話したのだが、二人が私を除け者にしていたのは私が「韓国だから」だったらしい。もう一人の育ちのいい方は嫌韓国のスタンスが明確で、気のいい方はそちらに合わせていた風だが、最終的には今度一緒に飲もうということで終わりはした。私を「韓国」とみなし避けていたらしい二人の話を聞いて、私が思ったのは、「お前らまだそこか」というものである。小さい頃から学校教育やらなんやらで散々差別あかんなどと教えられてきたはずであり、私はそれを真に受けた数少ない生徒の一人だが、他の多くはそれを真に受けず、本音と建前の建前に採用していたらしい。なんともまあ、要領のいい奴らである。

旧友の二人との出来事を私がでは差別認定したかというと、していない。差別はあるものである。そもそも私自身が旧友と飲みたいと思っていないからかもしれないが、人間には大切な時間と空間があるとすると、高校時代は私にとって最悪の人生の始まりにあるものだった。(また機会があれば紹介するが、14歳ごろに、当時希望していた進路(夢)を母親に反対されれて以降、やりたいことが見つからず、40歳頃まで路頭に迷った。私は人生で一番大切なクォーターを無駄にしたと思っている)。私が好きな人々というのは限られており、大阪にいた時は幼馴染の女の子Aちゃんと(多分)男一人Y、他は19歳の時に出会った変直なイングランド人Sの3人だけだろうか。彼らとならじっくり飲みたいと思うが、それ以外はとくに思わない。あくまで我々の人間関係は平等であり、彼らが私を否定すれば彼らも私に否定されることになる。関係を否定して結果が生じるのは何も否定された側だけではない。その点で取引は平等である。しかも高校時代から20年以上経っているので、いきなり何の準備もなく心を許しあってお互い語らうなんてことは最初から難しいものだ。だから再び関係を良いものに構築していくためにはある程度の努力が必要である。で、残念ながら私はその努力をしようと思っていない。面倒だからである。しかし、彼らはいいやつで、差別どうのの下りはその彼らの一面でしかない。高校時代の関係はあのまま否定されないし、今は違うが、人は変わるものだ。むしろ関係構築の努力をしようと思わない私の方が人間として冷たい。確かに、私は熱くて冷たい両極端の男だと言える。嫌いな奴を完拒否するのは、子供の頃からそうだった。

では私が好きなその3人が、私を「韓国」だからという理由で(もう一度言っておくが私は日本人である)私を否定するとしても、私の反応は変わらないだろう。相手がこちらと遊ぶ気がないのに無理に遊ぼうと粘着する合理的な理由がない。私にそれしか選択がなければ話は別だが、そうでなければ敢えて旧友と遊ぶ理由はないわけだ。かの高校時代の旧友をでは否定したのかというと、全くそうではなく、彼らが今度飲もうと言ってくればいくだろう。多少は話のネタにしていじめてやろうとは思うが。彼らの行いを咎めて酒を奢らせてもいい。

では、最初の小六時代の担任に話を戻して、これは実際の暴力があった事例だが、これに対しては差別認定するかというと、やはりしない。これについてはそもそも差別という確たる証拠がないし、差別かどうかなど興味はない。事実はあの男が私個人に対し理由の定かではない暴力をふるったことである。これは事実なので、この点について許すことはない。私は根に持つタイプではあるが、無駄なことはしないので、いずれ機会があれば復讐するだけで良い。ここで注意されたいのは、復讐というのは殺すことではない。あの担任にもまた人生があり、家族がいる。蛇足だが、同じ子供時代に私の頰を殴った別の先生を私は恨んでいない。私が悪かったと思っているから。彼のことは今でも好きである。

長くなってしまったが、色白の日本人男性に話を戻すと、上の述べたような考え方が故に、私は自分の父親が韓国人で、周囲の少なからず多くはそれを知っており、何人かは私を韓国人だと思っていたに違いないが、差別を受けたことはないと返した。そうすると彼は消沈し、主張を諦め、部屋を去って行ったのだった。

ところで、差別が悪いことである、というのを当たり前のことにように考えていた私は、この時に、アメリカでは見聞きすらしなかった反差別の別の意味合いが私の中に、あるいはある種日本的なものの中にあることを認めた。それは「和」である。それはあるいは我々が戦争に負けたからかもしれないが、何らかの争いが生じたとき、それを解決する理想的な解決策は「お互いにとってプラスまたは平等=引き分け」である。ところが、西に端を発する反差別は、差別同様、「自分だけがプラス=勝利」になるのである。これが正しいことは、自分が争いごとに巻き込まれた時によくわかる。日本もアメリカと同じようにはなってきているのは確かだが、私の心のどこかに、一方が得をするのではなく全体として丸くおさまるのが良い、という考え方がある。

具体的な例をあげると、どちらの所有かまったくもって不明なお隣さんとの境目にある細長い土地があるとする。ある日、新しく自家栽培する土地が欲しくなったお隣さんは、草ぼうぼうのその土地の権利を主張し始める(100%、全部お隣さんのものだ)。このお隣さんを西の代表に例えよう(西とは言っているが、世界的にはこれが標準だとは思う。要は利己主義である)。対するこちらは、特に何の用途も思いつかないその土地について、相手のいうママ100%上げるのは何だかおかしい気がするし、ここは50:50に分けませんか、と提案する。これでお互いフェアだし、丸くおさまるだろうと期待する。しかし、相手は諦めない。まだ100%自分のものだと主張する。そこで根負けしたこちらは、では「そちらが6でこちらが4でどうでしょう」と折り合いをつけようとする。でも相手はまだ諦めず、永遠に100を主張し続ける。その彼らの意図を「和」を重んじる我々は理解できない。100%も譲ったら流石にこちらはどうなるんですか、自分のことしか考えてないんじゃないですか、となる。実はこれは彼らにとって当たり前である。基本的に相手は相手のことしか考えていない。だから西的な争いの構図の中で何かを主張するとすると、必ずこちらも100からスタートしなければならない。最初から相手のことを考えて折り合うと最終的には相手有利になって終わるからである(優しさが仇になる)。

西に端を発する差別と反差別の構図も似たような特徴がある。反差別は、基本的には和を重んじるのではなく、差別しているとする側の権益を奪うことによって成り立つ。例をあげればキリがない。アメリカのaffirmative actionなんてその最もたるところだ(自分が被差別のグループに属していると表明すると、例えば同性愛とか、特定の人種とか、すると大学や雇用、その他の選考に置いて有利になる制度)。私の大学時代の教員は学部に常任が4人いたが、リーダー格が白人男性、残り3人は白人女性、黒人男性、同性愛の白人男性だった。絶対とは言わないが、あれもまずそれである。映画の話を例にとれば、伝統的に白人男性はアメリカ映画の主役であり続けた。が、最近ではあえて有色人種や女性が主役の映画が多くつくられる。もちろんこれらの映画の中でいい映画はたくさんあるが、タチの悪いのが、伝統的に白人男性が主役だった映画・またはジャンルの主人公をそのまま女性やその他の人種に挿げ替える映画だ。これは西的な反差別のスタンスを隠しもしていないとてもわかりやすい例である。Netflixの「The Queen’s Gambit」や、映画「羊たちの沈黙」のように女性であることを前面に打ち出し、物語を構成するドラマは素晴らしいが、伝統的に白人男性で作り上げられたその箱に異性や異人種が入り込むのは想像力が足りていない。ではなぜそんなことをするのかというと、アイコンとして見なされている白人男性をアイコンの意味はそのままに別の何かに変えようとする試みである。イエスキリストだって白人として描かれているが実際は違ったかもしれない。それがありとあらゆる視覚的表現に置いて白人として描かれてきたから今こうなった。だからそれと同じように意味はそのままに見た目を変えようとしている。こうなるともうそれば創作ではなく単なる反差別による覇権争いにしか見えない。この椅子の取り合いがアメリカで終わることは近い将来にはないと思う。このまま行けばずっとこのままだという気はする。映画において見た目というのはとても重要であり、それで視聴者の映画に対するイメージは大きく左右される。見た目はそれこそ自らが生まれ持って積み重ねてきた固有のものであるから、個性の一部である。自分自身の物語を作ろうとしていない映画は面白くない。

この文にある欠点は数知れず、しかしその最もたるものは書く者と読む者の同じ言葉への違う意味の理解が原因であろう。私の言葉の使い方も的確ではないことが多いから、お手上げである。私が反差別に胡散臭さを感じるのは、自分達さえよければそれで良いとするスタンスが見え隠れするからである。故に西的な反差別をテーマにした映画において、想像力に欠けたものの多くは差別的である。見ていて白人男性がかわいそうになってくることもある。これは日本人にも言えることである。同性愛一つとって見ても、西のそれは聖書に端を発している。西の同性愛に関する争いは故にキリスト教の内輪揉めが元である。そこに差別があるとしても、この日本における同性愛と西における同性愛はあり方も成り立ちも異なる。日本における同性愛を描くのであれば、自分が生まれ育った、また今存在している時間と空間とを根拠に物語を紡がなければならない。西の同性愛に関する表現ばかりを受けて、それを下地にし、我がことにように創作しても無駄である。相手の土俵を奪ってもいい映画は作れまい。自らの感覚で直接に世界を受容せよ。他人の表現に依存してはならない。自らが存在するこの空間と時間において、潔く根を張り、養分をもらいながら、何気のない日常を生きる。そんな日々とともに等身大で映画を作るのが良い。

エンドレス・霧(in 大分)

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