陰翳礼賛から撮影照明、から時間・。、

光を完璧に操るというよりは、基出来るとも考えておらず、かといって屋内であれば環境光を全て遮ればある程度の操作は可能である。だだし賛辞を示すべきは形を捉えきれないその時々と場所の変化による意図しない効果で、必ずしも全て頭で考えてその通りにやれば美しい視覚世界が出来上がるとは考えていない。むしろ単純にいくつかの決まりごとを覚えてあとは自然に任せるものでもある。だが、失敗は常にあるから、それをいかに防ぎつつ納得のいく絵を撮るかというのが興味の向くところでもある。

今回の創作の撮影照明に置ける決め事は次の三点である。

  1. キーライトはサブジェクトの後方から来る。後方であれば真横の少し後ろ側でもま後ろでもかまわない。
  2. 陰翳礼讃
  3. 被写体の光の状態は以下の七種類。尚、一部をのぞいて光源はほぼ点照明一点である。
    1. 被写体面に少しでも光が当たっている
    2. 被写体面に全く光が当たっていない(シルエット)
      1. 真後ろから光が当たっている場合、だがこの場合はカメラ側の被写体面も少なからず明るい箇所があるのが普通である。
      2. 被写体に光が全く当たっておらず(少なくとも露出レベルで)、背景には光が当たっていることから明暗差が出ること
    3. 被写体の影である
    4. 光源そのものである(太陽、月、火、電灯など)
    5. 被写体の反射である(反射面に映る被写体が明るく、背景が暗い)
    6. 被写体の影の反射である(反射面に映る被写体が暗く、背景が明るい)
    7. 光源が極めて大きく、陰陽の対比が曖昧な絵で、絵全体の明るさが上限IRE20~30以下であること。ただし、日本画や漆器の金模様の輝きは40辺りを示しても良い。

陰翳礼讃と言っても写真技術自体が光のない所ではうまく機能しない。影を引き立たせることは出来るが、それは影ではない部分との対比によって成り立つ。全く光がなければ玉に蓋をして撮影するようなものである。映像において陰翳の印象を抱くものはIREで表すと0〜30が精精であると仮定している。それより高い値は陰翳とは捉えがたいものがある。故に被写体面の大半は可能な限り暗くする。

被写体を撮影するその後ろ側から都合よく光が当たっていることと、被写体面に明るい光が当たっていないことが肝要なので、ここはPositive LightingとNegative Lightingの二つを念頭に置くことになる。使用する照明機材は主に以下の二つが多い。

  • フラッグ(黒いカバーのある42インチもしくは22インチのレフ板を使用している)
  • Aputure LS 60x、一台、軽スタンドも携帯

機動性に優れていることが最も重要であり、余計な荷物は持たない。2010年代に出現したLED照明の恩恵ははかり知れず、バッテリーで動き、ある程度の光量のある点照明が必要である。20年代に入ってからかAputureが理想的な照明を出した、それがLS60である。ソニーのL二本で動く。この照明には色温度固定と可変があり、類にもれず固定の方が明るく、可変の方は少し弱い。ただし、可変でも用途に十分な明るさがあったので、ここは利便性を選んで可変のものを使っている。ちなみに長年使っていたGenarayのTorpedoはソニーのL一本で動くが、バッテリー稼働だと光量が50%程度にまでしか上がらない。しかもすぐに電池なくなる。

クルーは演出兼撮影と助手の2名のみである。使用するカメラも小型のものを選ぶ。run & gunで設置に時間をかけず、狭い箇所でも入り込めるようにする。何年も前から、おそらく十年代に入って以降、YouTube等で動画広告が大量にで始めてから、この手の撮影で用いられている支配的なテクニックには次のようなものがある。

  • 小型カメラとギンバル(ジンバル、gimbal…ギンバルと発音するとマウント思考の輩が「ジンバル」と言い返してくれるので、疲れているとイラっと来ることは申し添えて置く)。
  • スローモーション(120p以上。使用しているSony a7SIIは120pではフルHDが限度)
  • 焦点距離は35ミリ換算で35-50mm、はやい単焦点。

以上に加えて私は

  • Diopter。いわゆるクローズアップフィルター。
  • 偏光板

を使う。偏光板の使用目的は特に、ホワイトとハイライトの強い明暗差を抑えることにある。これについて最初の洞察を与えてくれたのはTony L. Corbell著の”Light & Shadow: Dynamic Lighting Design for Location Portrait Photography”であった。セットアップに大した時間を割けず、その都度変化する環境光下での撮影を余儀なくされる時に、何が良いものはないかと探していた。最初はdocumentary cinematographyとかで検索していたが、いいものが見つからず、途方にくれていた所に、「露出は写真技術」という発想の転換があり、この本にたどり着いた。内容は中級者向けである。何よりとっつきやすく、ほぼ全ての記述は著者自身の長年の経験と観察から導き出されたものであるところが興味深い。

ソニーのa7SIIは何度かカラーチャートを使って実験した所、カラープロファイルオフで撮るとダイナミックレンジが7~8ストップしかなかったため、それ以降は面倒でもログを使っている。この撮影で使うのは「s-log2」、アウトプットLUTは「From_SLog2SGumut_To_LC-709TypeA_.cube」。カラコレはLUTを入れるlumetri color(プレミア)の上にもう一つlumetri colorを敷いて、簡単にexposureを前調整する。今回の撮影ではグレーカードを使い辛い。被写体面のほとんどが影だから。主に露出はWaveformを見ながらなるべく明るく撮る。ETTRは多少意識するものの、白飛びさせるよりは黒く塗りつぶし、ノイズをNeat Videoで処理する方が安全に思う。尚、光源はほとんど外すし、偏光板でてかりも軽減させるため、上は余裕があることが多い。その他、カラーチャートを用いてのLUT作りには3D LUT Creatorを用いる。

レンズは基本ノーマル一本である。一々ギンバルのバランスを調整していられないこともあるが、特に日本人が多用するロングレンズの暗示するその何かについて、私は常々一石を投じたいと思い続けてきた。とあるドキュメンタリー監督(NY在、20年くらい前にT国際映画祭で賞を撮った、らしい)はかつて次のように私に話した「長年やっててようやく気が付いたんだけど。被写体は近くで撮らないとダメなんだよ」これが意味するところの一つは、撮る側と被写体との距離にある。カメラマンがシャイだったり、被写体に容易に近づけない何らかの理由があったりすると、遠くからロングレンズを用いて撮ることになる。その絵がカメラマンと被写体の距離感と関係性を無意識に伝える。それは意図してものか、あるいはそうでないのか。被写体に肉薄する、親密に「見ている」のであれば、近くから撮っているはずである。だから被写体には可能な限り近づいて、ノーマルで撮る。

外は雨が降っている。夜の雨は美しい。しかし暗いから雨粒は見えないだろう。雨を雨と知するのは音のせいである。もしこの雨がゆっくり降り注いでいたらどうなるだろう。早く叩きつけるように降っているのか、遅くふんわりとぱらついているのか? その差異さえも音で判別される。最近の映像スタイルの流行りの一つはスローモーションであるが、最も巧みな作品の中にはこの映像による時間の経過と音による時間の経過を錯覚させているものがあることに気がつく。視覚的に明らかなスローモーションでも、聴覚的により早い刺激が伝わると受け手の時間感覚は遅くならない。時間の感覚は視覚よりも聴覚に頼るところが大きい、というのが今回の創作で用いる一つの仮説となる。

時間の流れ方はいつも違う。長く感じたり短く感じたりというのは誰しも経験のあるものである。都会の喧騒の中で過ごすと時間は早く過ぎ、田舎で虫の鳴き声を聴きながら過ごすと時間は自然に流れ、音のない世界では時間が止まる。私の人生の中で最も長い時間はおそらく、小中生の頃の校長先生のお話だったと思うけれども、あれのBGMにロックでも流せば早く感じたはずである。何なら校長先生が歌えばよかったのにと思う。

光がないと無理

Me